磯田道史(いそだ みちふみ) 歴史学者
長久保赤水が長久保赤水になったのは、なぜか。水戸に住むようになって、始終、その想いが去来する。長久保赤水は、この国の人々に、自分が地球上のどこに立っているのか、その位置をはじめて教えた男である。赤水以前の日本人は、宇宙のなかに自分を位置付けられていなかった。原因は、地図にあった。そのころ、日本地図には、緯線も経線も入っておらず、いくらながめても、自分が、天体としての地球のどの位置にいるのか知りようがなかった。赤水が、それを変えた。驚くべき、地理考証の力でもって、緯度と日本版の経線(京都を標準にした等間隔の南北線)をいれた日本地図「赤水図」を作り上げ、しかも、それを一般人のために出版した。伊能忠敬の「伊能図」がつくられる半世紀ちかくもまえのことであった。これによって、ひとにぎりの天文家にしか知られていなかった日本列島の真の姿とその位置が、一般人に知られるようになった。しかも「伊能図」は国家機密とされ、一般人の目には、ふれないようにされていたから、多くの日本人は、明治にはいってもしばらくは、赤水の作った日本地図でもって日本を認識していた。
わたくしは、こういう赤水のような知の巨人が、常陸の国の赤浜という村から、どのようにして出て、育っていったのか、想わざるをえない。赤水は天文学者や地理学者の子に生まれたわけではない。彼の祖父は庄屋であったが、父の代にそこから分家している。地元で尊敬されるゆたかな農民の家筋ではあったけれども、とりたてて目立つ存在ではなかった。赤水は、太平洋をのぞむ風光明媚な村に生まれ、師友をたずねながら、自分で自分の知識をつくりあげていった。そうとしか考えられない。赤浜の砂丘から、太平洋をのぞんでいた少年が、たのまれもしないのに、日本人全体の世界認識をかえてしまうような研究を成し遂げてしまったといっていい。
この不思議さを解き明かすには、赤水の交遊を調べねばなるまい。これを余すところなく行ったのが、本書である。わたしも、このような本の出版を待望していた。著者の片雲長久保源蔵氏は、長久保赤水の直接の子孫ではないものの、赤水以前に分かれ代々赤浜村に居住してきた長久保家の方であり、長年、赤水研究にたずさわってこられた。赤水の幼時の逸話など、この著者にしか書けないことにとどまらず、日本中の文献をひろく調べて、赤水が交わり遊んだ人士の事蹟をたずねて、一書にまとめられている。赤水が活躍した西暦一七五〇年ごろから一八〇〇年までは、偉大な時代であるといっていい。この時代、日本各地の知識人が、すさまじいまでの勢いで交流し、知識を高めあった。「理」でもって世界を理解する。「経済」でもって社会を改善する。その志の共有があって、津々浦々の知識人が、智慧をともにし、わけあった時代である。この混ざり合いが激しい化学変化をひきおこし、飛び出してきた一人が、長久保赤水であった。
本書を読んでいただきたい。赤水が、人に会い、物にふれて、自分を築きあげていった過程が見わたせるにちがいない。日本人が数かぎりない知の交遊を繰り返し、宇宙や世界の真の姿を認識しつつあったときの勢いから、学べるものは、はかり知れない。